お知らせ 日記

【教育者の皮肉】

【教育者の皮肉】

最近、保育園へ娘を迎えに行ったあと、教室へ向かう前に少し遊ぶ時間を作るようにしています。

肩車をしたり、
両手を持ってぐるぐる回ったり(娘はこれのことを「たったった」と呼ぶ)、
ベッドへ「えいっ」と軽く投げて遊んだり。

四歳の娘は全力で笑ってくれます。

特に今日は、久しぶりに少し長めに遊べたこともあって、とても楽しそうでした。

ただ、教室へ向かう時間になり、

「パパ、お仕事行ってくるね」

と言うと、玄関の前へ立って、

「行っちゃだめ!」

と足にしがみついてきました。

抱っこしても、
「バイバイ」と言うとまた引っ張ってきて、
最後には泣いてしまいました。

最近、こういうことが増えています。

もちろん、保護者の皆様から大切なお子様を預かっている以上、授業を休む訳にはいきません。

ただ、その時ふと思ったのが、

「教育者の皮肉」

みたいなものです。

私はこれまで34年間生きてきた中で、

“表では教育を語るけれど、家庭では違う”

という人を何人も見てきました。

有名な教育者が、自分の子どもには非常に厳しかったり、
学校ではいい先生なのに、家庭では怒鳴ってばかりだったり。

もちろん、それぞれ事情はあると思います。

ただ私は昔から、

「表と裏をそんなに分けなくてもいいんじゃないか」

と思っていました。

自分の子どもだから特別厳しくする必要もないし、
逆に、生徒だからといってそこまで違う教育をする必要もない。

できるだけ、裏でも表でも同じように子どもと接したい。

そう思って生きてきました。

ただ最近は、別の意味での“教育者の皮肉”を感じます。

それは、

「子どもと一緒にいてあげたい時間に、仕事へ向かわなければいけない」

ということです。それは良い教育者なのか・・・?とも思います。

もちろん、これは学校の先生だけではありません。

会社員の方も、
夜勤の方も、
介護職の方も、
飲食店の方も、
みんなそれぞれ事情があって働いています。

日本はまだ恵まれている方なのかもしれません。

世界には、単身赴任や出稼ぎで、月に一度しか子どもと会えない人たちもいます。

ただ私は、それでも、

「本当は、子どもが必要な時に、必要なだけそばにいられる社会の方が正しい」

と思っています。

もちろん、現実はそんなに簡単ではありません。

私自身、今すぐ社会を変えられる訳でもありません。

それでも、

「娘はもっと遊びたかったんだろうな」

と思いながら教室へ向かった今日の感覚は、忘れずにいたいなと思いました。

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